http://www.sankei.com/west/news/141215/wst1412150001-n1.html
産経west
今年、100年の歴史を刻んだ宝塚歌劇団。元タカラジェンヌの中でも、歯科医師となった人はちょっといないだろう。兵庫県宝塚市の桝谷多紀子さん(69)。首席で入団、春日野八千代さんの相手役を務めるなど活躍し、歯科医に転身した華麗な経歴だが、「滑って転んでの繰り返しだった」と明かす。病気で不登校だった小学校時代、大学受験に2回、医師国家試験に4回トライ。45歳で歯科医となり、65歳で博士号を取得した人生を本にまとめた。「人生、七転び八起き。不器用でもコツコツ積み重ねると道が開けてくる」と話す。
大人になるまで命がないかも!?
桝谷さんは昭和20年、大阪市生まれ。41年、宝塚歌劇団に首席で入団し、「花園とよみ」の名で娘役を務めた。「メナムに赤い花が散る」で、大スター、春日野八千代さんと共演するなど活躍し、46年の退団後はテレビなどで女優の仕事をこなした。 華やかに彩られた人生だが、「子供のころから滑って転んでの繰り返しでした」という。大病を患い、「大人になるまで命がないかもしれない」といわれた幼少期。小学校の低学年時代はほとんど学校に通えなかった。「勉強がまるで分からず、心ない男の子からは『アホ』呼ばわりされていたんです」と振り返る。そんな時、体力をつけるために6歳から始めた日本舞踊が「学校に居場所がなかった私の心の支えとなった」。舞台に立つことの充実感をおぼえ、宝塚歌劇団の受験を決意。音楽学校の入学時には50人中16番目だったが、歌劇団の入団試験で首席となった努力家だ。
歯科医志望動機は“芸能人は歯が命” 2回の大学受験、4回の国家試験
退団後は、女優の仕事をこなしていたが、本当に自分のやりたいことが見つからず迷い続けた。30歳を過ぎて、「舞台人にとって歯が命」と常々感じていた歯列や交合など口(こう)腔(くう)内のことを究めたいと、歯科大の受験を決意。「受験勉強を始めたけれど、基本がさっぱりわからなくて辛かった」。そこで、小学6年生の参考書を広げ、基本戻って勉強。宝塚や芸能界の友達との付き合いを一切断って、椅子に足をくくりつけて机に向かったという。そして、3年間の猛勉強の末、2回目の受験で合格し、36歳で大阪歯科大学に入学した。歯科医師の国家試験も落ち続けた。「3回目の試験に落ちたときは、この世に私は必要ないんじゃないかと、生まれて初めて自殺を考えました」と振り返る。4回目で合格し、宝塚大劇場を望むビル内に「ますたにデンタルクリニック」を開業し、20年が過ぎた。
元タカラジェンヌは年を重ねても認知能力が高い
還暦を迎えてからは、神戸大学大学院で老年学を学び、医学博士号を取得。老齢に関する研究に打ち込み、平均年齢80歳の卒業生と一般女性の脳や認知機能について調べ、10年以上、声楽やバレエなど舞台教育に取り組んだ人は、そうでない人に比べて、認知機能が低下しにくく、うつにもなりにくいというエビデンスを導き出した。「元タカラジェンヌは年齢を重ねても認知能力が高い」という論文を発表し、国内外から注目を集めた。今回、桝谷さんは自身の人生をまとめた本『すみれたちの証言-大正・昭和を駆け抜けたタカラジェンヌたち』(中央公論事業出版)として刊行。自らの半生とともに、研究に協力した卒業生ら10人の中身の濃い人生について紹介している。桝谷さんは「大正、昭和初期生まれの卒業生らは、戦争に翻弄されながらも力強く生きている。輝き続ける彼女たちの人生を知ってもらいたい」。歯科医として日々、忙しく診療に当たる桝谷さん。来年は古希を迎えるが、「若い頃は、自分の進むべき道に迷い苦しかったが、年を重ねるごとに人生が楽しく、やりたいことが出てくる。更なる夢に向けて走り始めています」と話す。人生、七転び八起き。タカラジェンヌは、不死鳥のようだ。
>>華やかな芸能界、タカラジェンヌからの、歯科医師への転職。全く違う世界へ足を踏み入れることに躊躇がなかったのか。この方には、個人的に沢山お話を聞いてみたいと素直に思いました。幼いころに大病を患ったことから、いつ死んでもおかしくないとの思いから、毎日を後悔なく生きるというマインドが生まれ、このマインドが彼女を強くしたような気がします。いろんな意味で、踏み出す勇気や気持ちの強さについて考えらされる記事でした。