YOMIURI ONLINE(長野) http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/news/20130130-OYT8T01235.htm
地域医療の向上に尽力した人を表彰する「第41回医療功労賞」(読売新聞社主催、厚生労働省、日本テレビ放送網後援、エーザイ協賛)の都道府県受賞者が決まり、県内からは小谷歯科医院長の岡島省三さん(62)、大鹿村立診療所長の清貞和紀さん(70)、矢嶋診療所長の矢嶋嶺さん(79)の3人が選ばれた。表彰式は2月4日、読売新聞長野支局で行われる。
◇村唯一の歯科医を35年
小谷歯科医院長
岡島省三さん
(小谷村中小谷)
村唯一の歯科医として、地域住民の歯の健康を守ってきた。「豪雪のへき地で35年余り、取り組んできた。住民に支えられ、続けてこられた」と周囲への謝意を示す。
出身は愛知県豊田市。趣味のスキーを通じて長野県に足を運ぶようになり、小谷村で歯科医を探していることを知った。1977年、小谷村で開業した。
歯科診療などで地域に貢献してきた岡島さん
開業前、地域には隣村の1軒しか歯科医院がなく、「朝3時から待っていた患者もいたそうだ」。開業した当初から、診療を求めて「長蛇の列が出来た」と振り返る。
村内に歯科医院がなかったため、当時の村民は口の中の衛生状態が悪かったという。患者の経済的負担を軽くしようと、保険診療の中で最善最良の診療を心掛けてきた。地元の小中学校の学校歯科医も務め、児童らへの歯科衛生指導にも力を入れている。
課題は、自分の後に続く地域医療の担い手の確保。「後継者を探すか、育てるかしないといけない」と表情を引き締める。それまでは「ジョギング代わり」という趣味のスキーで健康を維持しながら、住民の診療を続けていく決意だ。
「在宅でみとることができる環境を作れた」と振り返る矢嶋さん
◇デイサービスの先駆者
矢嶋診療所長
矢嶋嶺(たかね)さん
(上田市下武石)
高齢者が地域で豊かな生活を送り、自宅で家族にみとられながら死を迎える環境の整備に心を砕いた。
「加齢に伴う慢性疾患とはうまく付き合いながら、豊かに生きていくことが大切」と患者に説く。受賞の知らせに「賞とは縁がない人生だったので、驚いている」と話す。
旧東部町(現東御市)出身。父を早くに亡くし、実家の農業を手伝いながら学校に通った。農作業を手伝ってくれる近隣の農民も、がんや脳卒中で若くして亡くなるのを目の当たりにして、「農家の役に立つ医者になりたい」と思ったことが医師を志した原点だ。
信州大医学部卒業後、厚生連北信総合病院や依田窪病院長などを経て、1985年、旧武石村(現上田市)の診療所長に。高齢者の家族が安心して仕事などができるように高齢者を預かる施設を診療所の近くに建設。介護保険制度が始まる前のことで、先駆的なモデルとして全国に紹介された。
「今で言うデイサービスに早くから取り組んだことが多少の誇り」と控えめに話す。現在も週1回、診療所で診察し、往診にも出かける傍ら、講演などで各地を飛び回る日々だ。
◇高齢者5割の地域支え
大鹿村立診療所長
清貞和紀さん
(大鹿村大河原)
大鹿村の地域医療を20年間支えてきた清貞さん
受賞の知らせに「細く長く続けてきただけ」と控えめに喜びを語った。
広島市出身。京都の医科大を卒業し、広島大医学部で内科の臨床医に。呼吸器などの患者を診て15年近くを過ごし、広島県内の山間部で地域医療にも携わった。しかし、体調を崩し、過去の人間関係にとらわれずにやっていきたいと思っていた頃、長野県の国保関係者と知り合った縁で1993年10月、大鹿村立診療所に赴任した。
診療所では1日に約30人の患者を診る。外傷処置やお年寄りの診察などを行う外来対応のほか、出張診療や保育所・小中学校の健診などをこなす。急患にも応じ、診療所で手に負えない患者を、飯田下伊那地方などの病院へ搬送する判断を下す。「急患を親切に受け入れ支援してくれる病院があるから長く続けてこられた」と感謝の気持ちを忘れない。
また、緊急の場合、いち早く病院搬送できるよう診療所近くへのヘリポート設置を提言し、態勢を作り上げるなど村の医療を20年間支えてきた。
高齢化率5割の村。独居老人や老々介護でみとってくれる血縁がいない場合もあるが「できるだけ最期を住み慣れた家で迎えさせてあげたい」と心を砕く。
(2013年1月31日 読売新聞)
>>>こういう先生方が報われるような政策を厚労省に期待したい